レスリング全日本学生選手権4連覇、全日本選手権2度優勝という輝かしい実績を引っさげて新日本プロレスに入団。アントニオ猪木の最後の付き人を務めたことから、“猪木イズム最後の継承者”の異名を持つ。 新日プロ離脱後に参戦した『PRIDE GP 2000』開幕戦では、オランダのハンス・ナイマンを相手にネックロックで一本勝ち。続く2回戦でも、“霊長類ヒト科最強”マーク・ケアーと激突し、文句なしの判定勝利を収めている。さらに『PRIDE.10』ではケン・シャムロックを、『PRIDE.12』ではギルバート・アイブルを破っている。『PRIDE.14』では高山善廣との日本人ヘビー級プロレスラー対決を制した。2003年6月の『PRIDE.26』では、エメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦。ヒョードルを倒せる日本人は藤田しかいないというファンの期待に応え、渾身の右フックでぐらつかせ“あわや”という場面を作り出した。最後は王者の執念のスリーパーホールドに沈んだが、「最高の舞台で、最高の相手で、最高の試合ができた」との言葉を残し、その後PRIDEのリングからは遠ざかっていた。 そして2006年2月に猪木事務所から独立。その動向に注目が集まる中、PRIDE無差別級グランプリへの電撃参戦が決定。3年間の雌伏のときを経て、ついに2006年5月大阪ドームでPRIDEビッグカムバックを果たす。復帰初戦はジェームス・トンプソンを相手に壮絶な殴り合いを繰り広げ、ファンから大歓声を集めた。続く2回戦ではミドル級王者・シウバと激突。腕を極められかける場面やKO必至のパンチを幾度となくくらうが、その強靭な精神力で最後まで相手に向かっていき、敗れはしたもののファンから大きな声援を集めた。復帰戦となった男祭りでは、レスリングのメダリストを豪腕で沈め圧勝。その存在感を見せつけた。